レスポンスが遅れている事情のご説明とお詫び
Emiriパパです。こんにちは。いつもご利用ありがとうございます。
現在Emiriパパ家の個人的な事情によりEmiriSystemへのご質問への回答、CDの発送などが大幅に遅れております。ここではその事情をご説明させていただき 対応への遅れにご理解を賜われば幸いです。

3月中旬に娘Emiriが急性肝炎にみまわれ急遽入院いたしました。現在も入院しております。状態は一進一退で入院も二ヶ月に渡ると言われています。 現在回復のためにEmiriパパ家は全精力をEmiriに注いでおります。そのため個人運営のEmiriSystemは、手がつかない状態になっておりまして、 先のようにご質問への回答やCDの作成が滞っております。大変申し訳なく思います。必ず回復してEmiriSystem上で退院をご報告できるように頑張ります。 それまで、いつものようなサポートができませんが、どうぞ特別な事情とご理解いただきお待ち下されば幸いです。特にシステム上のトラブルが無い限り通常通りご利用いただけます。

 

本件に関する臨時の掲示板を開設しました。
もし何か情報をお持ちの場合やメッセージがありましたら宜しくお願いします。


以下にこの20日間のことを記しておきます。3月11日のことでして震災から1年の日でもあり家で静かに過ごすことにしていました。なにげなく娘の顔をみたとき 顔が黄色いように感じました。このときすでに黄疸がでていました。きっと気のせいだろうとおもって3日が経過した朝に体中に赤い発疹が現れました。これは ただ事ではないとすぐにかかりつけの小児科へ。するとこれは肝炎の疑いがあるのですぐに大きな病院で血液検査をするように言われて横須賀の病院に 転院しました。血液検査の結果肝機能の数値が正常値の100倍くらいになっていてびっくりしました。 急性肝炎ということで急遽そのまま入院となりました。

しかし原因がわからず ウィルス検査などには10日くらいかかるとのことで毎日血液検査をしながら経過を見るというものでした。熱は39度以上出ています。小児科の先生によると子供の肝炎はわりあい多くて 原因もわからず治る場合が多いという説明で少し安心しました。しかし、Emiriパパは独自にいろいろ調べ、血液検査中のPTという値を見たときにかなり警戒感を強くしました。これは 血液の凝固因子が肝臓でちゃんと作られているかをみる指標で、40を切ると重症ということでした。二日目にはじめてPTをみたときに36ですでに40を切ってました。 転院する必要がないのか病院にせまりましたが意識もちゃんとあるので経過をみるということでした。翌日PTはさらに減少しついに30を切ってしまい、ここにきてはじめて 急遽大病院に転院してくださいと言われました。わずか3日間で再び救急車で横浜の鶴見にある病院に転院しました。今回は、神奈川では小児科の肝炎を専門にあつかうチームがいるということでした。 急な転院、予想もしない自体の悪化にEmiriパパママはかなりうろたえました。頭が真っ白になり先生になんとかしてくださいと泣きつきました。テレビドラマのようです。 ただ、本当に苦しいのはEmiriです。なんとかして欲しいという希望をもって救急車に乗り込みました。

この病院では、すぐに詳細な血液検査、骨髄液採取、CTスキャンなどの検査が迅速に行われました。そして説明をうけたのは、原因は不明だが自己免疫が肝臓を攻撃している状態にあるので、 まずこれを沈めなければならない。そのために強力な免疫抑制剤とステロイドパルスを3日間行って反応をみるというものでした。もし反応がなければ肝臓移植も視野にいれないと いけないという説明もありました。お父さんお母さんにドナーになる意思はあるかとも確認されました。まだ最初の入院からたったの4日目です。生体肝移植、ドナー、ニュースで 時々耳にする程度の言葉がいま現実として自分の前に現れ判断を求められている。あまりの急な展開にこのまま どうかなってしまうのではないか思うほどうろたえそしてEmiriのことを思い泣きました。また先生によると移植の前に血漿交換という手段がまだ残されているということでした。 体の血液を全部一旦出して必要な血液製剤を補った上で体にもどすことで肝細胞が再生する時間稼ぎができるというものでした。 さっそく薬の点滴がはじまりました。しかし二日目の血液検査の結果はさらに悪くなっていました。PTが20を切りそうな状態です。これは待ったなしという判断で当初予定の3日を またずに血漿交換に臨むことになりました。血漿交換は、鎖骨の間から二本のカテーテルを入れて血管につなぎ外部の濾過装置に血液を循環させるというものです。 娘はICUに入りました。「頑張ってねー」といって送り出すしかありません。施術がおわってICUに通されるとEmiriには12もの点滴パックがぶら下げられ、首のカテーテルを通して 血液が取り出されいかにも濾過装置という機械を通して循環していました。懸命にこの治療をうけているEmiriがかわいそうで、ICUのこの現実に涙が止まりませんでした。 こんなときEmiriママはとても気丈です。Emiriパパはもうよれよれです。本当にお母さんはすごいと思いました。 何倍も何千倍もお母さんは強いと思いました。Emiriが心配しないように冷静に「かならず治るからね」「がんばってね」と声をかけていました。

ICU3日目に値の改善が見られたのでカテーテルを外してICUを出ることにしました。ひとまずほっとした瞬間です。少し希望がわいてきました。しかし原因が自己免疫である 可能性がたかいと指摘され、今後の見通しも楽観できないものでした。血液検査をしてはその結果で一喜一憂する日々のはじまりです。ICUから出て3日目の血液検査で また肝機能の数値の上昇がみられました。急遽ステロイド治療の二回目を行いました。また3日間投与して3日間経過を見るという流れです。黄疸はまだ完全にはひきませんが 朝に看護婦さんが「顔色いいね」と言ってくれただけでだいぶほっとします。二回目の投与ではもうすこし値が減少してほしかったですが改善は見られたのでまた経過観察になりました。 しかし、ICUから出た直後にとった肝細胞の顕微鏡検査の結果が届いてまた状況が変わりました。おもったより肝細胞の壊れ方が激しく、急遽三回目の投与をやるというのです。 Emiriも少し良くなったので点滴を外してもらって少し前向きになろうとするとまた点滴の開始で、かわいそうでなりません。 最近は回復を少し実感していたのでなおさらです。こうやって薬の効果と経過を見ながら二ヶ月は入院が必要と言われています。

Emiri家には関東に身寄りがないため、近くの幼稚園のときの先生や四国の お母さんお父さんにたくさん助けてもらっています。Emiriママは完全に病院にとまっており、妹の面倒をEimriパパが見なければなりません。 特に下の子ゆらりが病室に入れないため、もう一人だれか大人がいないとお父さんがお見舞いにもいけないのです。また会社にも 最大限の便宜をはらってもらっています。感謝の言葉もありません。
しかし、最初四国のお母さんに来てもらったときは、すぐにお母さんがインフルエンザB型を発症してしまいました。なんてついてないんだろうと思いました。そして先週はそれがうつって 下の子がインフルエンザB型を発症。免疫抑制剤を使っているEmiriに近づける訳も無く、お父さんも完全に病院から出入り禁止になるという本当につらいに日々になりました。 どこまでついてないのか、人生最悪の時期を過ごしていると思わずにはいられません。

今は学校の友達がたくさんのお手紙をくれました。それも励みになっています。せっせと返信を書いています。メールも開通しています。Emiriも気丈に頑張っていますが、 ときどき「帰りたい」とか「5年生の始業式に出る」 と言って泣きます。本当にお父さんも帰してあげたいし学校に行かせてあげたい。でも今はこの難局を乗り切るしかない、どう説明していいかわかりません。もうすぐ妹の幼稚園の入園式です。 家族4人で小さな平凡な生活を送っていたのが、 今は試練のときを迎え、Emiri家はじっと家族全員で耐えています。頑張っています。できるだけ早く回復への足取りが確実になるような光が見えてほしいと思っています。

これがこの20日ほどの間にEmiri家におきた事情です。どうぞEmiriSystemで朗報がお届けできる日を待っていてください。そしたら絶対に子供の病気に関する情報交換ができる 機能をEmiriSystemに追加します。そのときまでどうぞ待っていてください。Emiriパパ 上田

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